「貫く!」どんな圧力にも屈せず、信じる道を突き進む! Cover Story『人生の最期を明るく照らす新斎苑を。~奈良市斎苑「旅立ちの杜」~』
奈良を元気にする奈良市長仲川げんの公式Webサイトです。
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~奈良市斎苑「旅立ちの杜」~
奈良市横井町に新たな斎苑「旅立ちの杜」が開設されました。高円山へと続く自然豊かな土地に溶け込むようなデザインで、建物には大きなガラス窓が配され、景観と調和した外観は「森の中の美術館」とも評されています。定期的に見学会やクラシックコンサートが開かれるなど、文化施設としての側面もあわせ持つ空間となっています。
旧火葬施設である東山霊苑は1916年(大正5年)に建設され、施設の老朽化と炉数の不足が深刻な課題となっていました。高齢化の進行により火葬件数が増加し、市外の施設に頼らざるを得ない状況が続き、市民の経済的・心理的な負担は大きくなっていました。こうした背景から、奈良市では1958年(昭和33年)以降、60年にわたり新たな火葬場用地の選定を試みてきましたが、候補地ごとに地元住民の反対に直面し、断念を繰り返してきました。
しかし、「新たな斎苑が必要だ」という市民からの声は多く、このような状況を踏まえ、奈良市では改めて候補地の選定を進め、市街地から比較的近くて、近隣250m以内に住戸がなく、生活道路を霊柩車が通らない横井町の山林が適地であると判断しました。地元地権者との交渉、住民説明会の開催など、丁寧な対話を重ねながら理解を得ていくとともに、火葬施設に対する忌避感を払拭するため、施設のイメージやデザインについても先行事例の視察を通じて検討を進め、市民への情報発信に努めました。
新斎苑では、火葬施設に対する従来の暗く閉鎖的なイメージを転換すべく、自然環境との調和や光を取り入れた建築設計を採用しました。岐阜県各務原市の先進事例などを参考に、「迷惑施設ではなく文化施設としての火葬場」を発想し、「人生の最期を見送るにふさわしい場所」としての空間づくりを追求。そこから生まれたのが、“森の中の美術館”というコンセプトでした。こうして、広報を通じて市民の理解を得ながら、建設に向けた合意形成を図っていきました。
建設地の選定や設計に関しては、災害リスクの検証を含め、専門家の意見を踏まえながら対応を進めました。議会でも反対の請願が複数回提出されましたが、その都度、科学的根拠と丁寧な説明により、着実に議論を積み重ねていきました。
国の合併特例債を最大22億円活用できる期限が迫る中、2017年9月議会に諮られ、議員の賛成多数により可決されました。
しかしその後、用地取得をめぐって住民訴訟が提起され、奈良市が支払った土地購入額が不動産鑑定評価額を上回っていたとして、最高裁により1億1,643万円の損害賠償が私個人と2名の元地権者に命じられる事態となりました。判決では私が個人的な利益を得たわけではないことも認定されましたが、最終的に市が損害賠償請求権を放棄する議案が市議会で否決されたことで、個人の責任が確定しました。
実は、公共用地の取得に関する国の法律はなく、国土交通省のガイドラインにも「近傍類地の取引価格を基準とする」とあるのみで、明確な基準は曖昧です。今回の用地取得では、近傍での民間取引事例がなかったため、約20km離れた桜井市の取引事例と、奈良県による公的取引事例などを参考に土地価格を設定し、議会での審議・議決を経て購入を決定したという経緯がありました。今後、同様のことが他の自治体で起こらないよう、土地の価格決定方法の整備が急がれます。
2022年4月の供用開始以降、「旅立ちの杜」は市内外からの利用が増え、市民の火葬にかかる経済的負担は大幅に軽減されました。新しい斎苑の火葬件数は旧施設の2倍以上となり、オープンから3年間で1万6,000人を超える方々の最後のお別れの場としてご利用いただくことができました。それに伴い使用料収入も6.4倍となり、市や市民の経済的利益は3年間で7億9,000万円に上ります。
長年進まなかった火葬場問題に終止符を打ち、新しい斎苑が完成しました。この斎苑が、人生の最期を見送る場所として、市民の皆さんに活用されていくことを期待しています。
大和中央道の敷島工区が開通して生活が便利になりました。抜け道になっていた近隣住宅地の交通量も減り、まちの安全性も高まったと思います。ずいぶん前から計画されていたようですが、完成まで長くかかった主な原因はなんですか?
大和中央道は、市の中央を南北に貫く幹線道路で、北は押熊町から南は宝来町までの4.61キロメートル区間が奈良市域となります。このうち、秋篠町から西大寺赤田町二丁目までを結ぶ敷島工区(831m)は、25年の歳月をかけて完成しました。
奈良市域の3区間は1999年(平成11年)3月に事業認可を取得し、平成23年度から工事を進めてきましたが、アップダウンのきつい地形への対応や、古墳時代の史跡「赤田横穴墓群」の発掘など、さまざまな課題を乗り越えて、2024年(令和6年)6月に開通しました。
大和中央道の敷島工区は、国の補助金が十分付かず、結果として工事が遅れ、住民や地権者の方々をやきもきとさせる状況が続いていました。やりかけた事はスピード感をもって最後までやり抜こうと、国への陳情を重ねるとともに、不足分は市がカバーする形で毎年の事業量を確保するやり方に変更。職員の努力もあり、敷島工区は無事に開通しました。
今後は、阪奈道路・宝来ICに接続する若葉台工区の開通が目標です。近鉄線を越えるという難問が待ち構えていますが、対向困難な箇所が多いため、事業ニーズは極めて高い区間です。大和中央道が阪奈道路までつながれば、西大寺周辺の交通抑制にもつながりますので、引き続きその実現に向けて検討していきます。
仲川げんの視点